世界で初めて全身麻酔で乳がん切除手術をしたのは、日本人の医師でした。
時代は江戸時代、文化元年(1804年)、欧米に先立つこと40年、世界で初めての快挙でした。
華岡青洲が開発した麻酔方法は、曼陀羅華(まんだらげ)、別名チョウセンアサガオなど数種類の薬草を配合した麻酔薬「通仙散(つうせんさん)」、別名「麻沸散(まふつさん)」。
青洲はチョウセンアサガオに数種類の薬草を加え、動物実験だけでなく母於継と妻加恵の協力による人体実験を繰り返し、実に20年の歳月をかけて通仙散を開発しました。そして、1804年(文化元年)10月13日、青洲45歳のときに通仙散による全身麻酔下での外科手術を成功させたのです。
華岡青洲の偉業
華岡青洲(はなおかせいしゅう)は青洲は漢方の一種である古方を学ぶ一方、オランダ流外科を修めるなど、当時の最先端の医術を身に付けた医師でした。
乳がん切除のような大きな手術には相当な痛みが伴いました。
欧米ではすでに16世紀頃より乳がんを切除することは行われていましたが、麻酔がありませんので大きな切除ができず、患者さんの痛みもさることながら手術の結果は惨憺たるものでした。
華岡青洲は手術での患者の苦しみを和らげる方法として、麻酔薬の開発を始めました。
研究に研究を重ね、20年にわたる実験を経てやっと開発した「通仙散(つうせんさん)」という麻酔薬を用いて乳がん手術に踏み切りました。
使用しているのは、曼陀羅華(チョウセンアサガオ)の葉と種、草烏頭(そううず、トリカブトなど数種類の薬草を配合したものです。容量を間違えると錯乱し、痙攣を起こして死に至る、扱いの難しい薬草でした。
そのため、動物実験を慎重に繰り返し、投与量の見当をつけ、人体実験を経て実用化させます。協力したのは妻と母です。
有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』
そのくだりは有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』に描かれています。
映画やドラマや舞台にもなっていますね。
キャンディーズの田中好子さんが、自身が乳がん患者でありながら演じたということでも話題になりました。
話は嫁姑の確執がテーマなので青洲の影が薄いのですが、この小説のおかげで華岡青洲の偉業が世に知られたのは確かです。
私的には嫁姑はどうでも良いから、青洲を主役にして通仙散の開発に焦点を当てたものが観たいです。
華岡青洲が行った乳がん手術
現代の全身麻酔は麻酔薬の注射や麻酔ガスの吸入を組み合わせて、短時間で麻酔状態を作ります。手術中は痛みも意識も全くなく、手術が終わるとすぐに目覚めさせることができます。
一方、「通仙散」は飲み薬なのです。麻酔が効き始めるまでには約2時間、手術を始められるまでには約4時間もかかりました。
目覚めるまでには6~8時間もかかるため、現代の麻酔に比べてかなり余裕をもって手術を挑まなければならなかったようです。
文化元年10月13日(西暦1804年)世界で初めて全身麻酔での乳がん手術が行われました。
初めの患者は60歳の藍屋かんという女性。
手術の方法は青洲が考案したメスやハサミを用いて、がんの部分だけを乳房から摘出するというものでした。
現在、乳房部分切除術と呼ばれる方法に相当します。
手術後の経過も良く、勘は手術から二十数日ほどで故郷五條へ帰ることができました。
かんは、残念ながら4ヶ月後に亡くなってしまいましたが、肖像画の通り、かなり進行していた状態と推測されますので、青洲の手術が問題ということではありません。
青洲は数々の手術を行っていましたが、手術した乳がん患者152名のうち、術後生存期間が判明するものだけを集計すると、最短で8日、最長は41年で、平均すれば約3年7か月となります。
ただし、外見から乳がんとわかるほど進行した乳がんだと推定されますので、単純に現代医学と比較することはできません。
全国二千を超える寺院の過去帳から青洲の手術を受けた乳がん患者さんの死亡日を調査し、152名中33名の経過を明らかにしています。
手術後の生存期間は最短8日、最長41年で、平均すると2~3年というものでした。
当時のことですから多くの患者さんは勘のように進行乳がんであり、それを考えると青洲の手術の成績は大変素晴らしものであることは間違いありません。
華岡青洲が行った通仙散の開発手順
通仙散はただ単に世界初というところだけではありません。
成功と手術はもちろん、開発手順もこれまた見事なのです!
青洲は動物実験を繰り返し、投与量をまずは健康な人(母と妻)に投与して、やっと病人に使っています。
これは現代の法の規制のもとで行われる薬の開発と、まったく同じ手順を踏んでいたということになります。
新しい薬の開発には青洲と同じ手順が用いられ、正式な認可を得られるまでには巨額な費用と10~20年の年月がかかるそうです。
当時は現在式の手順はないのにも関わらず、青洲はひとりで通仙散の開発を成し遂げたのは本当にすごい。
しかも、しかもです!
麻酔薬の他に、リラックスさせる漢方薬や、術後に目覚めやすくする漢方薬を組み合わせて使用していたというのです!
青洲は麻酔手術の前に半夏瀉心湯、術後の覚腥促進に三黄瀉心湯などを用いたという記録があります。
現代では麻酔薬と一緒に他の薬を使うのが常識になっていますが、この方法が西洋で普及したのは、全身麻酔が始まってから50年後なので、90年も前に現代と同じ方法が用いられていたということになるでしょうか。
今では西洋医学に重きを置くことになってしまい、漢方はすたれてしまい非常に残念ですが、当時の日本では漢方を使いこなす医師が存在していたということです。
華岡青洲の「通仙散」はどんな薬か
弟子の本間玄調の記録によると、通仙散の配合は
- 曼陀羅華八分
チョウセンアサガオのこと。有毒植物で、経口後30分程度で口渇が発現し,体のふらつき、幻覚、妄想、悪寒など覚醒剤と似た症状が現れる。 - 草烏頭二分
トリカブト日本三大有毒植物の一つ。花が古来の衣装である鳥兜・烏帽子、鶏のとさかに似ているから。塊根を乾燥させたものは漢方薬や毒として用いられる。 - 白芷(びゃくし、“し”は草冠に止)二分
消炎・鎮痛・排膿・肉芽形成作用がある。皮膚の痒みをとる。日本薬局方にも記載。血管拡張と消炎の作用から、肌を潤しむくみを取る。 - 当帰二分
補血、強壮、鎮痛、鎮静などの目的で、婦人薬、冷え症用薬、保健強壮薬、精神神経用薬、尿路疾患用薬等の処方に高頻度で配合されます。 - 川芎(せんきゅう)二分
婦人薬,冷え症用薬,皮膚疾患用薬,消炎排膿薬とみなされる処方に多く配合されています。
これらを細かく砕いて煎じ、滓を除いたものを煮詰め、温かいうちに飲むと2~4時間で効果が表れたということです。
ただ、使っている曼陀羅華はチョウセンアサガオ、草烏頭とはトリカブトのことで、いずれも用いる量によっては命を落とす有毒の薬です。
配合量を決めるのに、繰り返し動物実験で割り出したということです。
動物実験を経ても、実母と妻の人体実験の際、母の死、妻の失明という大きな犠牲の上に全身麻酔薬「通仙散」が作られました。
華岡青洲、そして母、妻の偉業は計り知れません。
華岡青洲の医術の現在
残念ながら通仙散が効くには時間がかかるのが弱点でした。
そのため、緊急の手術や、野戦病院などでの要求に応えられませんでした。
さらに麻沸散では、浅い麻酔状態しか得られないため、麻酔を早く効かせて、効果を自在に調節することが必要とされる時代の要求に応えることができなかったのす。
このため、幕末から明治維新にかけて、青洲の麻酔法は急速に衰退していきました。
けれども華岡青洲が考案した処方で、現在でも使われている薬があります。
十味敗毒湯、中黄膏、紫雲膏という薬です。
- 十味敗毒湯
蕁麻疹や湿疹などの皮膚トラブルの薬 - 中黄膏
腰痛、肩こり、関節痛の薬 - 紫雲膏
傷や火傷などの薬
華岡青洲の功績をたたえて
ちなみに日本麻酔学会のロゴマークはチョウセンアサガオなんです。
これは華岡青洲の功績をたたえて通仙散の主成分であるチョウセンアサガオを用いているということです。