年々増加している『乳がん』診断を受けた有名人さんの自身の闘病体験ニュース、乳房全摘出手術、ステージ2、治療、年、公表後~1度だけの人生、自分の経験と日々の変化や気づき、2年間の闘病、5歳と8歳の子どもたちへの思い

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乳がんと闘病した芸能人・有名人まとめ乳がんと闘病した芸能人・有名人まとめ
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乳がん 芸能人

罹患率、死亡者数ともに年々増加している乳ガン。

日本において乳ガン人口は増加の一途を辿り、日本人女性が生涯で罹患する確率は10.6%(9人に1人)。

闘病を告白する芸能人が増えてきた背景には乳ガン人口が増えたこと、また同時に、医療技術の向上のために「治るがん」になってきていることも挙げられます。

今回は、乳癌と闘ってきた芸能人・有名人」をご紹介したいと思います。

乳がんと闘う有名人たちの勇気ある物語:年を追いごとに増加する罹患率と治療が進展しました

乳ガンは、日本の女性にとって高い罹患率を持つ病です。毎年、多くの女性がこの病と向き合っています。特に、公の場で活躍する有名人が乳ガンになったことを発表するには、社会に大きな影響を与え、乳癌に対する理解と早期発見の重要性を高めています。

診断を受けた有名人の闘病記:現実と治療の日々でした

乳ガンの告知を受けた有名人の中には、ある程度進行している状態を意味し、化学療法や手術が必要になる場合が多いです。彼らは病を公にし、多くの人々に影響を与えています。

例えば、ある女優は、40歳を過ぎた頃に乳ガンになりました。彼女は、東京の病院で抗がん剤投与を受け、その後手術。彼女の闘病のニュースは、多くの女性にとって大きな衝撃となり、乳ガンに対する意識が高まるきっかけに。

治療を経て新たな今の人生を歩む:病との戦いから学ぶ自己発見

癌を公言した有名人は、実際の病との戦いを通じて、みんな人生における新たな価値観や考え方を見出すことをしようとしています。期間中は、仕事を続けながらも、乳がんの治療と向き合う時間を持つことが求められます。彼らは、この体験を通じて、健康の大切さや、日常生活の中で気づかなかったことに目を向けるように。

たとえば、あるタレントは、自分の身体と心に向き合う時間が増え、それが人生における新たな気付きをもたらしたそうです。他の患者たちに希望を与えるメッセージを発信しています。

がんとの闘いから学ぶこと:公表による社会的イメージの変化

乳ガンとの闘いは、ただ病に立ち向かうだけではありません。それは、自分と向き合い、人生を見つめ直す機会でもあります。有名人が乳ガンを打ち明けることで、多くの人々が癌についての正しい情報を知り、早期発見の重要性を理解するようになります。また、彼らの勇気ある姿勢は、同じ病と闘う人々にとって大きな励みとなり、社会全体のがんに対する意識を変えていく可能性を秘めています。

このように、患者だけでなく、社会全体に影響を与える重要なテーマです。有名人の闘病体験を通じて、私たちは乳ガンについて深く考え、それぞれの立場で支援し合うことができます。

乳がんと闘病した芸能人:東京での抗がん剤治療と公表の影響

乳がんと闘病した芸能人をご紹介します。

生稲晃子さんの乳がん診断:ステージ2の現実と直面と直面しました

女優・生稲晃子氏が乳がんになんった時の体験を紹介します。乳がんの告知後、東京の病院で化学療法を開始。彼女の闘病体験は、多くの女性に影響を与え、乳がんに対する意識を高めるきっかけに。自分自身と向き合い、新たな人生の可能性と気付きを得た。

告知を受けたのは2011年のこと。42歳の誕生日でした。腫瘍のある部分を切除する温存術を受け、放射線照射と薬による治療を継続。

・2012年の夏
再発が判明。がんのできた部分を切除する再手術。

・2013年10月
3度目の切除、同年12月27日に右胸の全摘手術。

・2015年10月27日
再建手術。

5回にわたる手術歴があります。その闘病生活を乗り越えた力強さに胸を打たれます。

生稲晃子の乳がん治療:手術と抗がん剤治療

生稲晃子氏は、手術と化学療法を受けたそうです。その過程は、日本中の乳がん患者にとって大きな励みとなり、現実を広く伝える重要な役割に。乳がん立ち向かう勇気を与え、早期発見の重要性を強調。

生稲晃子の新たな人生:乳がん後の変化と気づき

その後は、病との戦いを通じて、人生の新たな価値観を見出したそうです。彼女は、自分自身の身体と心に向き合う時間が増え、それが人生における新たな気づきをもたらしたとのこと。生稲氏は多くの人に影響を与え、乳がんに立ち向かう勇気を与えてくれたと言われます。

矢方美紀さん:若い歳でのがんとの闘病と公表の自分の勇気を称えたい

職業:タレント 声優

「Ske48」元メンバー矢方美紀氏。
アイドル卒業してから『乳』が見つかったそうです。若年性でした。左乳全摘出とリンパ節切除をしたそうです。

術前の検査でリンパ節に転移が見つかりステージ2に。手術では左乳を全摘し、病理検査の結果、「ステージは3A」と判明。

再建手術も考えたのですが、しませんでした。また、抗がん剤の影響で将来妊娠が難しくなる可能性に備えて、「卵子凍結」を推進する動きも当時、活発でしたが選択しませんでした。再建も卵子凍結も事前の準備が必要で、治療の前に費やす時間が気がかりだったといいます。

手術・抗がん剤・化学療法をし、髪の毛が抜けた時期はウィッグを付けて過ごしました。今も再発を抑えるためのホルモン剤を服用しています。

樹木希林さん:知られざるがん治療の選択、その後の人生を考える

職業:女優

乳ガンが発覚したのは2004年。
6月ごろ自信で触診してしこりであろうことは薄々感じていたものの、病院で検査をしたのは9月でした。翌年の1月に全摘手術。

術後には通常ホルモン療法を行うのが基本だと言われていますが、副作用の問題で断念。

抗がん剤を拒み、ホルモン剤も飲むのをやめてしまったりしていたそうです。

がんが転移していきますが、すべて放射線療法を選択。

4年経っての2008年に腸や副腎、脊髄に転移。13年には「全身がん」という言葉が話題に。医師から全身転移があると告げられたそうです。

約10年にわたり、放射線の4次元ピンポイント照射あと、最後には無治療を選択。

2018年9月15日に永眠、全身に転移している状態でお仕事をしていたのが印象に残ってます。

後日、医師と娘との対談の中で、手術の時点ではまだ1.7センチだったということが判明。

南果歩さん:ステージ1乳がんと代替医療を受け、標準治療を受けませんでした

職業:女優

2016年3月11日、人間ドックで発覚。手術をしました。

通常、術後には化学療法やホルモン療法をすることが多いが医療。

南果歩さんは代替医療を選択。
講演会で話したことで、がん闘病患者や医学界で大きな話題となり、賛否両論が繰り広げられました。

化学療法やホルモン療法をやめたのは、決して現代医療を否定しているからではありませんでした。薬の副作用の出方は人によって異なり、軽く済む人もいますが、手足のしびれ、めまい、高血圧などの副作用が強く出て、臥せった状態が長く続いたそうです。それが、立ち止まろうと考えるきっかけに。

当時の夫であった渡辺謙氏も闘病中でしたので、そのサポートなどから副作用で動くことができないという状態はどうしても避けたかったのです。
代替医療という選択は正しいのか、セカンドオピニオンを受診、さらにはサードオピニオンも。その上で慎重に判断し、代替医療に切り替える決断をされました。

病巣は温存切除で取り除くことができており、リンパ節転移もない状態だったことから、主治医も中止を肯定してくれたのだそうです。

田中好子さん:早期発見で秘密裏に治療をしながら芸能活動を続けていた

職業:女優 歌手

キャンディーズの元メンバーで女優としても活躍した田中好子氏。

結婚翌年の1992年に乳がんが見付かりました。
幾度か再発を繰り返したのですが、いずれも早期発見で秘密裏に芸能活動を続けていたそうです。

これらの事実は、記者会見において、夫の小達により初めて公式に明らかにされました。

闘病の事実は親族のみに伝えられ、キャンディーズメンバーの盟友である伊藤蘭氏と藤村美樹氏ですら、伝えられたのは死の約3年前で、共演者には一切明かされていなかったといいます。

2011年(平成23年)3月14日、夫が余命を伝えたところ、「こんな事をあなたに言わせてしまってごめんね」と夫を気遣ったそうです。

「私は大勢の人に支えられて生きてきたので、みなさまにお礼が言いたい」

夫とマネージャー立会いで葬儀の際流されたメッセージが病室でベッドのリクライニングを起こした体勢で録音されました。

4月21日、親族とにキャンディーズの二人見守られながら永眠。

北斗晶さん:プロレスラーからがん受け入れと闘病はニュースになった

職業:元女子プロレスラー、タレント

元女子プロレスラーの北斗晶氏は2015年に公表しました。

進行具合は「ステージは極めて3に近い2のB」

2015年9月23日、入院、右胸全摘術。さらに化学療法、そして放射線療法を行い、ホルモン療法を併用し治療を受けていました。

9月24日に全摘出術を受け、29日に腋窩(腋の下)リンパ節まで転移したがんを取り除き、腋窩神経も取ったことも打ち明けています。

「私らしく、おっぱいが片っぽなくたっていいじゃん。生きてられるから。生きていられるのはすごいと思うし、そう思って私も生きていこうと思います」と、がんに対して前向きの発言をされたことが印象に残りました。

山田邦子さん:テレビ番組をきっかけにしたがん発見と治療

職業:タレント

山田邦子氏のがん発見のきっかけはテレビ番組の『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 スペシャル』。番組内で自己検診の際に胸の違和感を覚え、左右の胸にしこりがあることが発覚しました。

2回の手術を経てがんは全て摘出、早期発見により完治することができたそうです。がんが3個もあったということですが、10年の闘病を経て現在は寛解したとのこと

現在では、タレント活動のかたわら闘病の体験をセミナーや講演会を通じて伝えていることでも有名で、保険関連のイベントにもよく出演し講演をされています。

徹子の部屋」に出演した際は、10年の闘病を経て、現在は寛解したとのことだが、「がんって元気になっても『今日で終わり』っていうふうに行かないんですね。ずっといつまで経ってもせきが出たり熱が出たりすると、再発したのかしら? 転移したのかしら? っていう気持ちがずっと続く、再発の不安がなかなか消えないと語っていました。

乳がんと闘病した有名人:新たな日の可能性と気づきと自分なりの考え

次に、乳がんと闘病した有名人をご紹介します。

さくらももこさん:知らなかった漫画家のガン闘病記

職業:漫画家

「ちびまるこちゃん」の原作者で知られる漫画家のさくらももこ氏。

がんが発覚してすぐ、東日本大震災(2011年3月11日)が起きました。作品中では触れるべきではないと考えましたが、震災1週間のち、まる子が花畑の中で涙を浮かべながら「きっと大丈夫だよね。日本も」と語る内容の4コマ漫画を新聞に描きました。

そのあと2週間、新聞の連載を休んむことになります。その時期が本当につらかったと振り返っています。

優しく穏やかで明るい日常を描き続ける一方で、その繊細な感性で「死」とも向き合い続けていました。

「病状はずっと膠着状態でしたが、この夏前になって、急激に悪化した」と、知人は語っています。

最期は、静岡から上京して都内の自宅で一緒に暮らしていたご両親や20代半ばになった息子らに看取られたそうです

8月15日、永眠。53才でした。

小林麻央の乳がん闘病記:勇気ある公表と治療の日々

詳細文: このセクションでは、女優・小林麻央氏が乳がんを告げられた後の闘病生活を紹介します。東京で化学療法と手術。彼女の闘病体験は、多くの人に影響を与え、乳がんに対する意識を高めるきっかけに。彼女は、病との戦いを通じて、自分自身と向き合い、新たな人生の可能性と気づきを得たようです。

小林麻央の乳がん診断:現実に直面

小林麻央氏は、乳がんになり、その現実に直面。彼女は、経過を公にし、乳がんに対する社会的イメージを変え、ニュースとなったことで知られています。

小林麻央の乳がん:がんの「標準治療」

乳がんで亡くなった小林麻央さんが、標準治療を拒否して民間療法に頼っていたと報道されたことで、メディアではさまざまな議論が起こりました。

早期に発見できていたらと惜しむ声は多かったのですが、麻央さんの乳がんは非常に進行が早い「進行性がん」でした。
長女の授乳時から2年以上の間、乳腺の状態を良くするための母乳マッサージに通いケアしていたため、本人も癌の可能性に緊迫感を持たなかったことも発見が遅れた理由の一つのようです。

小林麻央の新たな人生:今年の女性100人

ブログで積極的に病状の情報発信を行ったことが評価され、2016年11月21日、英国放送協会 (BBC) の「今年の女性100人」の一人に選出されたりもしています。

2017年6月22日夜、自宅で永眠しました。34歳でした。

病気の基本情報と治療の可能性

乳腺にできる悪性腫瘍。ほとんどが母乳をつくる乳腺でできています。乳腺は乳頭を中心に放射状に並ぶ15~20の乳腺葉で構成されており、乳腺葉は、母乳をつくる「小葉」と、小葉でつくられた母乳を乳頭まで運ぶ細い枝状の「乳管」とに分けられます。乳ガンの約90%以上が乳管から発生する乳管がん、約5~10%が小葉から発生する小葉がんです※1。ほかにも粘液がんや管状がん、腺様囊胞せんようのうほうがんといった特殊なタイプがありますが、あまり患者は多くはありません。

中でも上部のわき側にできるがんが全体の53%を占めるとされています※2。これには、わきの下も含まれます。できる場所は1カ所にとどまらず、2カ所以上になることもあります。

がん細胞が乳管や小葉内にとどまっている状態を非浸潤がんと呼び、がん細胞が増殖しあ、乳管や小葉の外に広がった状態を浸潤がんと呼んでいます。

非浸潤がんと呼ばれる早期がんの段階では多くが治るといわれていますが、早期の乳ガンでは自覚症状があまり感じられません。時間の経過とともにがん細胞が増殖し、乳管・小葉の周囲まで広がり浸潤がんとなり、血管やリンパ管へと広がります。リンパ節や脳・骨・肺・肝臓など遠くの臓器にがん細胞が運ばれて遠隔転移をしていることもあります。遠隔転移をしたがんは、他の臓器に発生していても乳ガンの特徴を持ち、その臓器に生じるがんとは性質が異なります。

出典:「SKE48」元メンバー・矢方美紀氏 アイドル卒業後『乳ガン』が見つかり「ステージ3A」『左乳房を全摘出』など自身が語る闘病の日々 | 特集 | MBSニュース

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