乳がん 芸能人
死亡者数ともに年々増加している乳ガン。
我が国において乳ガン罹患率は増加の一途を辿り、生涯で罹患する確率は10.6%(9人に1人)。
闘病を告白するタレントが増えてきた背景には乳ガン人口の増加、また同時に、医療技術の向上のために「治る病」になってきていることも挙げられます。
今回は、乳ガンと闘ってきた方々をご紹介したいと思います。
乳がんと闘う有名人たちの勇気ある物語:年を追いごとに増加する罹患率と治療が進展しました
乳ガンは、日本人にとって問題になってる病です。毎年、多くの方がこの病と向き合っています。特に、公の場で活躍するタレントさんが乳ガンになったことを発表するには、社会に大きな影響を与え、乳癌に対する高い関心を集めてることに。
有名人の闘病記:現実と治療
乳がんの告知をされた方の中には、ある程度進行している状態を意味し、化学療法や手術が必要になる場合が多いです。彼らは病を公にし、多くの方々に影響を与えています。
例えば、ある女優は、40歳を過ぎた頃に乳房にしこりを発見。その後の彼女の闘病の記録は衝撃となり、乳ガンに対する意識が高まるきっかけに。
治療を経て新たな今を歩む:病との戦いから学ぶ自己発見
癌を公言した有名人は、実際の病との戦いを通じて、みんな新たな気づきや価値観、考え方を見出すことをしようとしています。仕事を続けながらも、乳ガンと向き合う時間を持つことが求められます。彼らは、この経験を通じて、日々の健康の大切さや人生観、闘病後は生活で気づかなかったことに目を向けるように。
たとえば、あるタレントは、自分の身体と心に向き合うことになり、それが新たな気付きをもたらしたそうです。他の患者たちに希望を与えるメッセージを発信しています。
癌との闘いから学ぶこと:公にしたことによる社会的イメージの変化
乳ガンとの闘いは、ただ病に立ち向かうだけではなく、自分と向き合い、己を見つめ直す機会でもあります。有名な方々が打ち明けることで、多くの方々が癌についての正しい情報を知り、早期発見の重要性を理解するようになります。また、彼らの勇気ある姿勢は、同じ病と闘う方にとって励みとなり、皆の癌に対する意識を変えていくことに。
このように、患者だけでなく、社会に影響を与える重要なテーマです。闘病体験を通じて、私たちはこの病気について深く考え、それぞれの立場で支援し合うことができます。
乳がんと闘病した芸能人:抗がん剤治療と影響
乳ガンと闘病した芸能関係者をご紹介します。
生稲晃子さんの乳がん診断:ステージ2
女優・生稲晃子氏が乳がんになんった時の体験を紹介します。告知をし、東京の病院で化学療法を開始。彼女の闘病体験は、多くの女性に影響を与え、癌に対する意識を高めるきっかけに。
告知は2011年42歳の誕生日。腫瘍のある部分を切除する温存術、放射線照射を継続。
・2012年の夏
再発が判明。癌のできた部位を部分切除。
・2013/10
3度目の切除、同年12/27に右胸の全摘術。
・2015/10/27
再建手術。
5回にわたる手術歴があります。その闘病生活を乗り越えた力強さに胸を打たれます。
生稲晃子の乳がん治療
生稲晃子氏は、手術と化学療法をされたそうです。その過程は、国内の同じ病気と闘う患者にとって励みとなり、事実を広く伝える重要な役割に。
生稲晃子の新たな変化
病との戦いを通じて、新たな価値観を見出したそうです。生稲氏は多くの女性に影響を与え、病に立ち向かう勇気を与えてくれたと言われます。
矢方美紀さん:若い歳でのがんとの闘病を称えたい
職業:タレント 声優
「Ske48」元メンバー矢方美紀氏。
アイドル卒業してから『乳』が見つかったそうです。若年性でした。左乳全摘出とリンパ節切除をしたそうです。
術前の検査でリンパ節に転移が見つかりstage2に。病理検査の結果、「3A」と判明。
再建術はなしで、薬の影響で将来妊娠が難しくなることに備えて、「卵子凍結」を推進する動きも当時、活発だったものの選択せず。再建も卵子凍結も事前の準備が必要で、事前に費やす時間が気がかりだったといいます。
抗がん剤治療・化学療法をし、髪の毛が抜けた時期はウィッグを付けて過ごしたそうです。今も再発を抑えるためのホルモン剤を服用しています。
樹木希林さん:知られざる闘病と生き方と人生観
職業:女優
しこりの有無が発覚したのは2004年。
6月ごろ自信で触診してしこりであろうことは薄々感じていたものの、病院で検査をしたのは9月。翌年の1月に全摘術。
通常ホルモン療法を行うのが基本だと言われていますが、副作用の問題で断念。
抗ガン剤を拒み、ホルモン剤も飲むのをやめてしまったりしていたそうです。
癌が転移していきますが、すべて放射線療法を選択。
4年経っての2008年に腸や副腎、脊髄に転移。13年には「全身癌」という言葉が話題に。医師から全身に転移があると告げられたそうです。
乳がんの治療は、実は約10年にわたり、放射線の4次元ピンポイント照射あと無治療を選択。
2018/9/15に永眠、厳しい状態なのにも関わらず状態でお仕事をしていたのが印象に残ってます。
のちに、医師と娘との対談で、手術の時点ではまだ1.7センチだったということが判明。
南果歩さん:標準治療を受けませんでした(代替医療選択)
職業:女優
2016/3/11、人間ドックで発覚。
通常、術のあとには化学療法やホルモン療法をすることが多いのですが、南果歩さんは代替医療を選択。
講演会で話したことで、癌闘病患者や医学界で話題となり、賛否両論が繰り広げられることに。
化学療法やホルモン療法をやめたのは、決して現代医療を否定しているからではないです。薬の副作用の出方はケースによって異なり、軽く済むケースもいますが、手足のしびれ、めまい、高血圧などの副作用が強く出て、臥せった状態が長く続いたそうです。それが、立ち止まろうと考えるきっかけに。
当時の夫であった渡辺謙氏も闘病してたので、そのサポートなどから副作用で動くことができないという状態はどうしても避けたかったのです。
代替医療という選択は正しいのか、セカンドオピニオンを受診、さらにはサードオピニオンも。その上で慎重に判断し、代替医療に切り替える決断をされたのです。
病巣は温存切除で取り除くことができており、リンパ節転移もない状態だったことから、主治医も肯定してくれたのだそうです。
田中好子さん:秘密裏に闘病しながら芸能活動を続けていた
職業:女優 歌手
キャンディーズの元メンバーで女優としても活躍しました。
結婚翌年の1992年にしこりを確認。
幾度か再発を繰り返したのですが、すべて秘密裏に行い芸能活動を続けていたそうです。
これらの事実は、記者会見において、夫の小達により初めて公式に発表。
闘病の事実は親族のみに伝えられ、キャンディーズメンバーの盟友である伊藤蘭氏と藤村美樹氏ですら、伝えられたのは死の約3年前で、共演者には一切明かされていなかったといいます。
2011/3/14、夫が余命を伝えたところ、「こんな事をあなたに言わせてしまってごめんね」と夫を気遣ったそうです。
「私は大勢のファンに支えられて生きてきたので、みなさまにお礼が言いたい」
夫とマネージャー立会いで葬儀の際流されたメッセージが病室でベッドのリクライニングを起こした体勢で録音したそうです。
4/21、親族とにキャンディーズのメンバー見守られながら永眠。
北斗晶さん:プロレスラーからがん闘病へ 右胸全摘術しました
職業:元女子プロレスラー、タレント
元女子プロレスラーの北斗晶氏は2015年に病気を公にしました。
進行具合は「stageは極めて3に近い2のB」
2015/9/23、入院、右胸全摘術。さらに化学療法、そして放射線療法、ホルモン療法を併用。
9/24に全摘出術、9/29に腋窩(腋の下)リンパ節まで転移、腋窩神経も取ったことも打ち明けています。
「私らしく、おっぱいが片っぽなくたっていいじゃん。生きてられるから。生きていられるのはすごいと思うし、そう思って私も生きていこうと思います」と、病に対して前向きの発言をされたことが印象に残りました。
山田邦子さん:テレビ番組をきっかけにがん発見
職業:タレント
山田邦子氏の癌は怖い家庭の医学 スペシャル』。番組内で自己検診の際に胸の違和感を覚え、左右の胸にしこりがあることが発覚。
ガンはすべて摘出、完治することができたそうです。癌が3個もあったということですが、10年の闘病を経て現在は寛解したとのこと
現在では、タレント活動のかたわら闘病の体験をセミナーや講演会を通じて伝えていることでも有名で、保険関連のイベントにもよく出演し講演をされています。
徹子の部屋」に出演した際は、10年の闘病を経て、現在は寛解したとのことだが、「元気になっても『終わり』っていうふうに行かないんですね。ずっといつまで経ってもせきが出たり熱が出たりすると、再発したのかしら? 転移したのかしら?っていう気持ちがずっと続く、再発の不安がなかなか消えないと語っていました。
乳がんと闘病した有名人:新たな気づきと自分なりの考えはニュースに
次に、乳ガンと闘病した方々をご紹介します。
さくらももこさん:漫画家のガン闘病記
職業:漫画家
「ちびまるこちゃん」の原作者で漫画家のさくらももこ氏。
癌が発覚してすぐ、東日本大震災(2011/3/11)が起きました。作品では触れるべきではないと考えたそうですが、震災1週間のち、まる子が花畑で涙を浮かべながら「きっと大丈夫だよね。日本も」と語る内容の4コマ漫画を新聞に描きました。
そのあと2週間、新聞の連載を休んむことになります。その時期が本当につらかったと振り返っています。
優しく穏やかで明るい漫画を描き続ける一方で、その繊細な感性で「死」とも向き合い続けていました。
「病状はずっと膠着状態でしたが、この夏前になって、急激に悪化した」そうです。
最期は、静岡から上京して都内の自宅で一緒に暮らしていたご両親や20代半ばになった息子らに看取られたそうです
8/15、永眠。53才。
小林麻央の乳がん闘病記:勇気ある行動と治療、女優・小林麻央氏が乳がんを告げられてからの闘病生活を紹介します。彼女の闘病体験は、多くの女性に影響を与え、乳ガンに対する意識を高めるきっかけに。
小林麻央の乳がん診断:厳しい事実に直面
小林麻央氏は、乳癌になり、厳しい事実に直面。彼女は、経過を公表しにし、乳がんに対する社会的イメージを変え、ニュースなどで話題となったことで有名に。
小林麻央の乳がん:標準治療
残念ながら亡くなった小林麻央さんは標準治療を受けませんでした。標準治療を拒否して民間療法に頼っていたと報道されたことで、メディアではさまざまな議論が。
早期に発見できていたらと惜しむ声は多かったのですが、麻央さんの乳癌は非常に進行が早い「進行性」。
長女の授乳時から2年以上の間、乳腺の状態を良くするための母乳マッサージに通いケアしていたため、本人も癌に緊迫感を持たなかったことも発見が遅れた理由の一つのようです。
小林麻央:今年の女性100人
ブログで積極的に病状の情報発信を行ったことが評価され、2016/11/21、英国放送協会 (BBC) の「今年の女性100人」の一人に選出されたりもしています。
2017/6/22 夜、自宅で永眠。34歳。
病気の基本情報と治療の可能性
乳腺にできるがんはほとんどが母乳をつくる乳腺でできています。乳腺は乳頭を囲んで放射状に並ぶ15~20の乳腺葉で構成されており、乳腺葉は、母乳をつくる「小葉」と、小葉でつくられた母乳を乳頭まで運ぶ細い枝状の「乳管」とに分けられます。乳ガンの約90%以上が乳管から発生する乳管がん、約5~10%が小葉から発生する小葉がんです※1。ほかにも粘液がんや管状がん、腺様囊胞せんようのうほう癌といった特殊なタイプがありますが、あまり患者は多くはありません。
上部のわき側にできる癌がぜんたいの53%を占めるとされています※2。これには、わきの下も含まれます。できる場所は1カ所にとどまらず、2カ所以上になることもあります。
癌細胞が乳管や小葉内にとどまっている状態を非浸潤癌と呼び、癌細胞が増殖しあ、乳管や小葉の外に広がった状態を浸潤がんと呼んでいます。
非浸潤がんと呼ばれる早期がんの段階では多くが治るといわれていますが、早期の乳ガンでは自覚症状があまり感じられません。時間の経過とともにがん細胞が増殖し、乳管・小葉の周囲まで広がり浸潤がんとなり、血管やリンパ管へと広がります。リンパ節や脳・骨・肺・肝臓など遠くの臓器に癌細胞が運ばれて遠隔転移をしていることもあります。遠隔転移をしたがんは、他の臓器に発生していても乳ガンの特徴を持ち、その臓器に生じる癌とは性質が異なります。